フィリピンアート史4

マルコス政権下のアート(1972~1986):

 

 70年代のマルコス政権の時代には、さまざまな芸術活動が混ざり合い美術界は多様化、活性化してゆきます。この中には60年代からフィリピン美術界の主流になった抽象画家たちの流れ、次第に独裁的になるマルコス政権への不満や貧困層の窮状などを訴えるソシオリアリスト(社会派リアリスト)の芸術家たちの活動、そしてカルロス・フランシスにはじまった地域からの芸術発信といった3つの大きな流れがあります。全体的にみると、国際的アートシーンの主流だった抽象などの「芸術のための芸術」に対する社会的メッセージ性のつよいポリティカルアートやソシオレアリスト達の「アバンギャルド」という構図がみられます。

 

 60年代から続く抽象絵画の流れは、この時代のオフィスビルやコンドミニアムの建設ブームと共にますます広がりをみせていきます。世界的な流行でもあった抽象絵画は「芸術のための芸術」などと言われながらも、建築関係者やインテリアデザイナーなどに人気があり、商業的にも需要が拡大していきます。また反社会的メッセージ性がなかったことから国からの支援も得やすく、1969年に建設された「Culture Center for the Philippines (CCP):フィリピン文化センター」をはじめとする公共施設で展示され、海外からの駐在員コミュニティーや富裕層によって支持をうけます。ネオリアリストのメンバーだったHRオカンポ、セザール・レガスピなどの有名画家に加え、ホセ・ホヤ、ラメロ・オラゾー、ラオ・リアンベンといった新しい芸術家も続々と登場します。

 

 それに対し、ソシオリアリストの芸術家たちは、都市化によって急速に増加した貧困層の窮状を描いたり、マルコス独裁に対する反発をアートで訴える反政府アート(ポリティカルアート)を生み出していきます。もともとフィリピンには、植民地支配への反感を表した風刺画や、間接的に民衆に自由の獲得を訴える作品など「ポリティカルアート」の基盤となるような作品を制作した作家たちが古くから存在していました。マルコス独裁下で社会的抑圧をうけた芸術家たちのエネルギーは、しだいに反政府的な芸術活動へと向かっていきます。1976年には血気盛んな若手の芸術家たちがマニラで「Kaisahan(組合)」を結成し、進歩的で過激な芸術活動を展開していくことになります。中心メンバーにはパブロ・ビーンズ・サントス、アンテイパス・デロタヴォ、レナト・ハブラン、アル・マニリク、パポ・デ・アシス、オーランド・カスチロ、ホセ・テンス・ルイース、レオニロ・ドォリコンなどがいます。その後、フィリピンのあちこちで芸術家の組合ができ、ポリティカルアートは各地に広がります。 なかでもネグロス島バコロドでは、若い芸術家達が「Black Artist of Asia(黒人アーティスト連盟)を結成し特に活発な活動を行います。ヌネルシオ・アルバラド、チャーリー・コー、ノルベルト・ロンダン、デニス・アスカロンなどがそのメンバーです。またルソン島北部のバギオではサンティアゴ・ボスが中心となって反政府的芸術活動を続け、軍隊から虐待に苦しめられていた南部ミンダナオ島ダバオの風刺画、漫画、イラストなどの作家達は、作品を用いてそれに抗議しました。

 

 このような反政府的な芸術家達は、国の文化施設であるCCPなどでの展示機会を与えられなかったため、既存の展示スペースに頼らず学校や教会などで新しい形の展示を行うようになります。彼らには、より多くの大衆に向けてメッセージを発信したいという目的があったのですが、結果的に彼らの活動がフィリピンアート自体が活性化するという結果になったのです。