フィリピンアート史2

アメリカ統治時代(1898~1935)~ コモンウェルス政府時代(1935~1946):

 

  1898年の米西戦争でアメリカの植民地となったフィリピンでは、19世紀後半からヨーロッパに在住する知識階級によって起こった自由獲得運動により、民衆のあいだにフィリピン人としての自立意識がしだいに高まって行きます。芸術家たちの間でも作品の中に「フィリピン人らしさ」いわゆる「ナショナルアイデンティテイー」を表現しようと試みるようになります。この大きなテーマの答えとして当時の画家達が選んだのが、地方の農村や田園の風景、そしてそこで生活している人々の日常生活を描くことでした。「Genre Painting(風俗画)」と呼ばれるこの作風は、ファビアン・デラロサ、ホアン・アネラオといった画家たちからはじまり、後にナショナルアーティスト第一号となるフェルナンド・アモソロによって全盛期を迎え、20世紀前半30年ほど、フィリピン画壇の主流となります。

  フェルナンド・アモソロはフィリピン大学でファインアーツを学んだ後スペインで美術を勉強し帰国し、近代化される前のフィリピンの長閑かな田舎の風景や人々の暮らしを詩情あふれるタッチで描き、「フィリピン独特の光と色彩をとらえた最初の画家」とも言われています。アモソロは現在でも最も名前の知られているフィリピン人画家の一人で、GSISミュージアムのアモソロの部屋を始め、アヤラミュージアムユチェンコミュージアム等多くの美術館のコレクションとなっていて、作品に触れる機会も多くあります。

  アモソロの風俗画は光の表現や色彩等に新鮮さがあったものの、そのスタイルや技法はそれまでの画家達と変わらずアカデミズムを尊重する古典的なものでした。そのような時代のフィリピンで、最初にヨーロッパのモダニズムを紹介したのが「フィリピンモダンアートの父」と呼ばれるヴィクトリオ・エダディス(1895~1985)でした。アメリカで美術を学んだ後、フランスにわたりセザンヌやゴーギャンといった後期印象派の画家達から強い影響を受け帰国したエダディスは、1928年にマニラで最初の個展を開き、当時のフィリピンの美術界に衝撃をあたえます。牧歌的で美しい光に満ちた古典的手法のアモソロらの作品とはかけはなれ、対象の本質や存在感を描くことにこだわり、グロテスクで世俗的なものを題材にしたエダディスの作品は、当時の主流だった保守的なアカデミズムの芸術家達から非難をあびます。確かに技術的な面からみると彼よりも優れた画家はフィリピンに数多くいましたが、彼の残した功績は、数々の批判を受けながらも評論や新聞などに記事を載せ、筆の力でもモダニズムを提唱し続け、芸術家達を新しい時代へと導いたことです。

  エダディスはサントトーマス大学のアートデパートメントのディレクターに就任して間もない1936年に、芸術家を志す若者に自由な創作活動の場を与えようという信念に基づき、マニラのエルミタ地区にアトリエを創立します。このような先駆的なエダディスの考えに最初に賛同したのが、ガロ・オカンポとカルロス・フランシスという画家たちで、この3人は「3人組み」と言われフィリピンアート史の転換期に抽象、表現、象徴主義、といった世界的な現代美術の流れをもちこむという重要な役割を果たしました。エダディスはモダニズムに傾倒する画家13人を「サーティーンモダン」命名して組織的な運動を展開すべく集会を開こうと試みますが、それは実現しないまま時代は第二次世界大戦の混乱へと入っていきます。